「悟り」について

「悟り」の全体としての意識面でのアイデンティティは、同じ舞台に一度は出た、という共通体験くらいでしょうか。もともと一発ネタ的な要素が強い企画ですので、「悟り」全体を通した共通意識というのはみかん氏指摘の通り希薄であるといっていいと思います。逆に、強すぎる共通意識がもたらす「排他性」を持たないことであらゆるジャンルの人が入ることができますから、普段は得られない「自分たちとは別の世界」を垣間見る機会を得られたりすることもありますね。

付け加えておくと、自身が「悟り」を開かなくても「悟り」界隈に首を突っ込むことができます。他人の「悟り」にコメントするだけでも存在が認知されますから(笑)自身で悟りを開くなり、首を突っ込むなりして獲得した認知度を維持・伸張していくには、継続的に写真公開していくなり、コメントを続けるなりしてアピールしていく必要がありますが、それはインターネット内でウェブページを運営していく上での一般的な問題と同様のものです。日々新しい情報を発信し続けなければいずれ忘れ去られてしまうのは「悟り」に限ったことではありません。(その点もみかん氏指摘の通りです)
ただリンクは残りますので、ある日ひょっこり浮上したりすることはありますが。

「悟り」に参加すること=新しい人脈を作るキッカケ、くらいの認識でよろしいかと。

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個人的には痛くもなんともない部分なんですが、そのあたりは個人個人の主観の違いってことで。
http://d.hatena.ne.jp/e_mikan/20060109
posted by 巽@補完庫 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 反応

漢気を感じ取ってください

by 流穂忍さん
http://tsurime.maid.ne.jp/diary/d200601a.html#08

震源地の方がひさしぶりにやっちゃったようです
posted by 巽@補完庫 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 捕捉情報〜悟り・天竺